大橋鎮子(とと姉ちゃん小橋常子)の経歴や結婚と子供を紹介!

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大橋鎮子(とと姉ちゃん小橋常子)の経歴や結婚と子供を紹介!

4月から放送されるNHK朝の連ドラ『とと姉ちゃん』の主人公 高畑充希さん演じる小橋常子は、今年で創刊68年を数える雑誌「暮らしの手帖」創刊者「大橋鎮子さん」がモデルになっています。

今日は、戦前・戦中・戦後と、激動の昭和を生き抜いた、大橋鎮子さんの生涯を振り返ってみたいと思います。

大橋鎮子さんを「モチーフ」にしたオリジナル脚本との事ですので、「ネタバレ」になるかはわかりませんが、知りたくないよー!という方はスルーしちゃって下さい!

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大橋鎮子さんのプロフィール

1920 (大正9)年 3月10日、東京・深川で生まれる。

1934(昭和9)年 東京府立第六高等学校(通称:六女)へ入学(現、東京都立三田高等学校)

1937(昭和12)年 日本興業銀行へ入行(調査課へ配属)(みずほ銀行の前身)

1940(昭和15)年 同行退社 日本女子大学入学

肺結核の為、大学を退学し静養の後、日本読書新聞入社

1946(昭和21)年 衣装研究所(現、暮らしの手帖社)を創業

2013(平成25)年 3月23日 肺炎の為、永眠 享年93歳

「とと姉ちゃん」の 誕生

父・大橋武雄、母・久子の長女として生まれた大橋鎮子さんは3人姉妹の長女。
父の転勤で1歳で北海道へ移住しますが、その父が肺結核を煩い東京へ。その後5年間療養所を求め伊東、鎌倉、大森等を転々としながら看病に明け暮れ、大井町に落ち着いた1930(昭和5年)年父が他界。
亡くなる前に、父から
「鎮子は一番大きいのだから、お母さんを助けて、晴子と芳子の面倒を見てあげなさい」
と言われ
「はい、わかりました。」
と答えた鎮子さんは、父に代わって家族を支えていこうと心に決めました。
この時わずか11歳です。
母、久子さんはそんな父の思いや鎮子さんの気持ちを受け、11歳の長女に父親の葬儀の喪主を務めさせたそうです。

「とと」=「父さん」

「とと姉ちゃん」誕生の瞬間です。

雑誌創刊への道

東京府立第六高等学校を卒業後、日本興業銀行を経て日本女子大へ入学しますが、わずか半年で、自身も肺を患い無念の退学。しかし母の懸命な看病の元無事に回復し、日本読書新聞へ入社。銀行時代に配属されていた調査課での経験を生かし、編集部の仕事をこなしていく訳ですが、おりしも第2次世界大戦が勃発し、1945年(昭和20年)日本読書新聞は休刊となります。

広島、長崎への原爆投下を受け、「戦争が終わる」という噂が流れていた東京の防空壕の中で、鎮子さんは必死にこれからの生活を考えました。

家族を養っていく為にはどうすればよいか。母と妹二人を充分に養って行くには「勤め人」の給料では心もとない。かといえ、手に職があるわけでもない。 手に職を持っていない自分が持っているのは「知恵」くらい。 そうか、「知恵」を売ろう! 自分が見たい、知りたいと思うことを本にすれば、戦争で学校にも満足に行けなかった多くの女性たちに喜んでもらえるだろう。

この時25歳。この思いが、後の「暮らしの手帖」創刊へと繋がっていきます。

稀代の天才編集者 花森安治との出会い

戦後、復刊した「日本読書新聞社」で再び仕事を始めた鎮子さんは、当時の編集長、田所太郎氏に雑誌社設立を相談し、その紹介で「日本読書新聞社」でカットの仕事を手伝っていた、花森安治氏と出会います。

花森安治(とと姉ちゃん花山伊佐次)の経歴や結婚と子供を紹介!

戦争への反省から、「一人ひとりが自分の暮らしを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中にしたい。」と考えていた花森氏と、「女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい」という鎮子さんの志が一致して、1946(昭和21)年に、鎮子さんの妹、晴子さん・芳子さんも加わり、銀座にて「衣裳研究所」を設立。

鎮子さんは初代社長として経営にあたりながら、花森編集長のもと編集に携わり、
『戦後まもない、物の無い時代でもおしゃれに美しく暮らしたい』
と願う女性への服飾提案雑誌『スタイルブック』を出版しました。
1948(昭和23)年には、『美しい暮らしの手帖』(後に『暮らしの手帖』)を創刊し、1951(昭和26)年に社名を『暮らしの手帖社』と変更します。
暮らしの手帖第1号
『暮らしの手帖』第1号


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画期的な誌面作りで一世を風靡した『暮らしの手帖』

『暮らしの手帖』は、家庭婦人を対象としたファッションや飲食物/料理、各種商品テスト、医療/健康関連の記事や、様々な連載記事(エッセイ「すてきなあなたに」大橋鎮子著)や読者投稿欄(「すばらしき日曜日」、「家庭学校」)で構成されました。 また、

雑誌の全ての部分を自分達の目の届く所に置いておきたい

という理念から、広告は外部からのものは一切受けず、自社書籍についてのみ広告掲載しています。
(但し、創刊間もなくは売上が芳しくなく、早くも倒産の危機に直面した為、一度だけ、第3号の裏表紙に、資生堂の「ゾートス化粧品」の広告を掲載しています。これは初版のみなのでバックナンバーには掲載されていない、幻の広告となっています。)

実名をあげて商品を評価する「商品テスト」は徹底しており、『消費者に良い物』を、と言うだけではなく、『メーカーに、もっといい物を作って欲しい。』という気持ちで行われていたそうです。

実際にそのテストは凄まじく、例えば、自動トースターのテストでは食パンを4万3088枚焼いて、それをどっさりと積み上げた写真を掲載して、異様なインパクトを生みました。

こうした徹底した「商品テスト」も、一切広告を載せないというスタイルがあったからこそ可能な事だったのですね。

あわせて高度成長期における環境問題などにも警鐘を鳴らし、暮らしに対する独自の思想をわかりやすい言葉で読者に伝える新しい『暮らし』への道しるべとなる雑誌作りは、多くの国民からの支持を受け、最盛期には発行部数100万部に達しました。

1958(昭和33)年アメリカ合衆国国務省の招待で4カ月間の視察旅行に出かけた際に、ニューヨークのペアレンツ・マガジン社より、「雑誌を通じた子どもや家庭への貢献」が評価され、「ペアレンツ賞」を授与。

1969(昭和44)年『暮しの手帖』第2世紀1号よりエッセイ「すてきなあなたに」の連載を始めます。(『暮らしの手帖』の発行号数は100号ごとに「第n世紀」と区分されています。これは花森編集長の「100号ごとに初心に立ち返る」という意味合いが込められているそうです。)
大橋鎮子さんは『すてきなあなたに』の冒頭で、

なにもない普通の暮らしのなかで出合った、いろいろなことや、仕事でお目にかかった何人もの方々のお話しのなかから、私が大切に思い、すてきだなあと思い、生きていてよかったと思ったこと、私一人が知っていてはもったいない、ぜひ読者の皆様にもお知らせしたい、メモとして遺しておきたいことなどの、折にふれての記録から生まれたものです。

と語っています。 日常のささやかな出来事や暮らしへのこまやかな愛情を綴ったこのエッセイは、1994(平成6)年、東京都文化賞を受賞。 現在、全6冊の単行本と「よりぬき集」が発売されていますが、2015年よりハンディサイズの[ポケット版]も順次発売されています。

1978(昭和53)年に花森氏が亡くなった後は、経営と編集に尽力し、93歳で亡くなる1年ほど前まで、朝9時から夕方5時半の勤務を続けられていました。

生涯、独身を貫いた大橋鎮子さん

『女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい』と考えた大橋静子さんと、 『家庭がもっとしっかりしていれば戦争も起こらなくて済んだ。家庭をしっかりさせよう。』という花森氏の考えが見事にマッチして生みだされた雑誌『暮らしの手帖』。その創刊者である、大橋鎮子さんは生涯、独身を貫き家庭を持たなかったというのは、とても興味深い事です。

元祖キャリアウーマンともいえる鎮子さんですが、けして「結婚」に否定的だったわけではなく、ふたりの妹さんの結婚には尽力しています。お子様もいらっしゃらなかったわけですが、妹さんご夫妻と一緒に暮らし、90歳までお仕事に励んでいらっしゃった大橋鎮子さん。
11歳で父をなくしたあの日から、残された母と妹の「とと」になると決めた大橋鎮子さんにとっては、妹さん達が子供であり伴侶であり、そうして誰よりも早く自分が守るべき「家庭」を持っていたという事なのではないでしょうか?

そして、もうひとつ、結婚についてのエピソードとして、こんなお話があります。

花森氏との出会いの際に、結婚について尋ねられた大橋鎮子さんは、「仕事を続けたいので、結婚はしません。」と答えたそうです。さらに「誓うか?」との問いにもきっぱりと「はい」と答えました。

「魂のパートナー」と呼ばれるお二人ですが、ここに「恋愛」という甘やかなニュアンスは感じ取れません。故によりいっそうこの「誓い」が、重みのあるものに感じられます。

おかっぱ頭で女装もされてたという花森氏と、人生の大半「父親」という役割を担ってきた鎮子さんというコンビであったからこそ、より広い視点で「女性の幸せ」を考え、提案する事ができたのではないでしょうか。

『暮らしの手帖』と自分

最後に、まったくの私事ではありますが、今手元にある1冊の本をご紹介させていただきたいと思います。

おそうざいふう外国料理暮らしの手帖版
おそうざいふう外国料理 [ 暮しの手帖編集部 ]

この本は、料理など全くできない真の「ふつつか者」だった私が結婚した時に唯一、母が持たせてくれたものです。
写真からおわかりいただけるでしょうか?しっかりとした装丁で上質な紙にふんだんなカラーを含む写真と手順で構成されたこの本は、ちょっとした辞典みたいな作りです。既に平成の時代、世の中には、手軽でおしゃれなレシピ本がたくさんあったので、当初、私の中では「インテリア」としてキッチンに「おいて置く」本でした。ある時ふとしたきっかけで、母がよく作ってくれた料理のレシピが知りたくて電話をしたところ、この本に書いてあると言われて初めて開いた次第です。 その料理が「えびの天ぷらしょう油いため」
えびのしょう油いため
「西洋ふう」と「中国ふう」と分かれているうちの「中国ふう」レシピです。
材料には、「老酒」なども入っているのですが、なかなか一般家庭に常備していない材料の場合は代替品材料も必ず書いていてくれます。「老酒」の場合は「ウイスキー」。それでもない場合は「日本酒」でもいいよ!といった具合です。
これをきっかけにこの本を使うようになったら、母の得意な料理がほとんど網羅されていて驚きました。 今では、「インテリア」ではなく、我が家の台所に唯一常駐しているレシピ本です。

わたしの母は、熱心な『暮らしの手帖』ファンであったので、家の中に何冊もありましたが、私自身はあまり手に取った記憶がありません。誤解を恐れずにいえば、「家庭婦人向けの雑誌」というものに、「古臭い」イメージを抱いていたんだと思います。 そんな自分が今回こうして、大橋鎮子さんについてあれこれと調べたのも、大好きな脚本家である「西田征史氏」が朝ドラで大橋鎮子さんをモデルにしたヒロインを描かれるという事で、ミーハー的に興味を持ったわけです。
【とと姉ちゃん】脚本家西田征史のプロフィールや経歴と年収は?
そうして、触れた大橋静子さんの生涯やお人柄は、私が『暮らしの手帖』に対して勝手にもっていた先入観を大きく覆すものでした。

残念ながら母のもっていたバックナンバーは処分してしまいました。本当に悔やまれます。
唯一この手に残った、この『おそうざいふう外国料理-暮らしの手帖版-』。
花森氏のイラストやレイアウトと共に「食」から生まれる日常の幸福がたくさん詰まっているこの本をパラパラとめくりながら、高畑充希さん演じる『とと姉ちゃん』の活躍を楽しみたいと思います!

大橋鎮子さんと『暮らしの手帖』について、調べれば調べるほどに魅力的なエピソードがたくさん出てきて、つたない自分ではとてもとてもご紹介しきれておりません。今回朝ドラのヒロインモデルとなった事で、さらにメディアで取り上げられることも増えるんじゃないかな?と思いますので、また機会がありましたら、随時、追記なんかもしていきたいと思います。

【追記】放送が始まりましたね!『暮らしの手帖』公式サイトでは、「大橋鎭子特設サイト」が追加されました!

最後までお読みいただきありがとうございます!よろしかったらこちらの記事もお楽しみください!
【とと姉ちゃん】脚本家西田征史のプロフィールや経歴と年収は?

参考一覧

【暮らしの手帖社】公式サイト
【東洋経済ONLINE 2010年大橋鎮子氏インタビュー記事】 
【文藝春秋web:鼎談書評】
「暮しの手帖」を生んだ伝説的編集者の秘めた思い『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』(津野海太郎 著)

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コメント

  1. 柚季 より:

    ドラマの常子のモデルとなった人がどんな人生を歩んできたのか、とても分かりやすかったです。

    • おこめ より:

      柚季さん、はじめまして!おこめです。
      コメントありがとうございます。

      モデルとなった大橋鎮子さんのリアルな物語がとてもドラマティックで、ついついとりとめなく書いてしまったのですが、そう言っていただけるととても嬉しいです。ありがとうございます!

      常子さんの物語も、佳境に入ってきて、目が離せませんね!