4月から放送が始まったNHK朝の連ドラ『とと姉ちゃん』の主人公 小橋常子のモデルとなっている「大橋鎮子さん」と共に「暮らしの手帖」創刊した、稀代の天才編集長、花森安治氏。
「とと姉ちゃん」では唐沢寿明さん演じる花山伊佐次(はなやま いさじ)さんのモデルとなっています。
今日は、大橋鎮子さんと「魂のパートナー」と呼ばれた、「暮らしの手帖」初代編集長、花森安治氏の生涯を振り返ってみたいと思います。
『とと姉ちゃん』は大橋鎮子さんや花森安治氏を「モチーフ」にしたオリジナル脚本との事ですので、「ネタバレ」になるかはわかりませんが、知りたくないよー!という方はスルーしちゃって下さい!
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花森安治氏のプロフィール
1911(明治44)年10月25日、神戸市須磨区に生まれる。
旧制松江高校を経て東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学
1935(昭和10)年、松江の呉服問屋の末娘、山内ももよと学生結婚。
1937(昭和12)年、大学を卒業、この年に長女藍生(あおい)が誕生
同年、秋に召集を受けて満州(中国東北部)へ赴く
除隊後、大政翼賛会の宣伝部に勤め、軍部の戦争遂行にかかわった
1945(昭和20)年、『日本読書新聞』で、カットを描く手伝いをした。
1946(昭和21)年 大橋鎮子氏と共に衣装研究所(現、暮らしの手帖社)を創業
1978(昭和53)年1月14日、心筋梗塞により永眠。享年66歳
花森安治氏が『暮らしの手帖』に込めた思い
花森安治さんは、戦時中に大政翼賛会の宣伝部に勤めていたことから、ご自身を
執行猶予を貰った『戦犯』だ
といっていたそうです。
戦時中の国策広告として有名な
欲しがりません勝つまでは
は。花森氏が考案したという通説もあるようですが、真相は募集して広告文の中から、花森氏らが採用した。ということのようです。しかし、花森氏にとっては、「考案した」も「採用した」も、そこに大差はなく、国家の戦争遂行に加担したという気持ちだったのでしょう。
そうした思いから、花森さんは
女の人がしあわせで、みんなにあったかい家庭があれば、戦争は起こらなかったと思う
という考えに至り、その思いが大橋鎮子さんの
女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい
という志とガッチリとかみ合って、『暮らしの手帖』が誕生するのですね。
『魂のパートナー』と呼ばれるお二人。男女という事で、そこに「恋愛」はあったのか?という興味はどうしても沸いてくるのが人の性というもので、以前に大橋鎮子さんについての書いた記事にも
「大橋鎮子 花森安治 恋愛」
という検索ワードで訪問してくださる方もいらっしゃいます。
花森安治さんの妻と子供
プロフィールにもあるように、花森さんには「ももよさん」という奥様と、「藍生さん」という娘さんがいらっしゃいます。ももよさんは「ミス松江」に選ばれるほどの美人で、裕福な家に生まれた箱入り娘さんだったそうです。
お料理もできないももよさんにかわって花森さんが、料理をしたとか、妊娠をきっかけに化粧品メーカーの伊東胡蝶園(のちのパピリオ)に入社するなど、「愛妻家」な一面を感じさせるエピソードもあります。
またしばしば「美人の奥様」の自慢をしていたり、後年、お孫さんにはなんでも買ってあげちゃう「甘甘なおじちゃん」であったとか。
女の人がしあわせで、みんなにあったかい家庭があれば、戦争は起こらなかったと思う
という思いは、ご自身のご家庭にも発揮されていたのではないでしょうか。
大橋さんには「結婚しません」という誓いを求めたというエピソードもありますから、同じ女性としては少し「う~ん??」という気持ちがわかないこともないですが、きっと「仕事」というよりも「使命」に突き動かされていた様な花森さんと大橋さんの活動をみていると、そんなレベルの関係ではないのだろうと思いました。実際そこに「恋愛」という感情が入ってしまったら、『暮らしの手帖』の様な、一時代を築く雑誌は生まれなかったんじゃないかな。これはこれで、妻の立場からすると、いっそ「恋愛」であったほうがいいといってしまうと御幣があるかもしれませんが、なにか超越したところでタッグを組んでいる二人には立ち入れない部分があったとでしょうから、複雑だったのではないかと思います。自分だったらお門違いな嫉妬心がわいて騒いじゃうかも(笑)でも実際のももよさんは、あえて、あまり仕事には立ち入らなかったそうですから、奥様もまた人間力の高い方だったのでしょうね。
花森安治さんと『商品テスト』
「女の人をしあわせにする雑誌」として誕生した『暮らしの手帖』ですが、大橋さんのエッセイ「すてきなあなたに」に代表されるような「日常」の暮らしの中の幸せや楽しみ工夫といった面と、安森氏の画期的な紙面づくりという面がうまく融合して、伝説の雑誌となっていったのではないかと思います。
『暮らしの手帖』を語る上で、絶対にはずせない『商品テスト』
もちろん、イラストレーターや、レイアウターとしての花森氏も卓越した才能なのですが、やっぱりこの『商品テスト』は花森氏を稀代の編集長と言わしめる大きな要因だと思います。
大橋さんの記事でも紹介した、自動トースターで食パンを4万3088枚焼いたテスト以外にも
・換気扇の紐を何回引っ張ってON・OFFできるかテスト
・100キロもの距離を実際に押して歩いたというベビーカーのテスト
等々。もうこれは執念すら感じちゃいます。
実際のベビーカーテストの記事写真では、つば広の帽子にワンピースのおしゃれな女性がベビーカーを押した写真が使われています。こうした、「見せ方」も花森さんの独特の感性ですよね。歴史学者の山内昌之氏は「あざといくらい巧み」と賞賛されています。
花森氏は編集室を「暮しの手帖研究室」と名づけていたそうで、編集部が「実験室」という様相ですね。
このテストは「消費者」の為でもあるけれども「企業」にがんばって欲しいというメッセージでもあったようです。
女性の幸せの為の雑誌では有りますが、この「商品テスト」には、なんだか、「少年」を感じてしまいます。好奇心旺盛な男の子が、その心の赴くままに行動して時に怒られてしまうような(笑)
でも、そういった意味では「とと」姉ちゃんである大橋さんにもそういった「好奇心」の強さを感じますね。
心筋梗塞で倒れられる直前まで、お仕事をされていたという花森さん。
追悼号となった『暮しの手帖』第2世紀53号の表紙画は、花森氏が描かれた予備のものが使われたそうです。
「古本海ねこ」サイト様より
花森さんといえば、おかっぱ頭にスカートをはいていたといった型に嵌らないお人柄も有名。
柔軟な発想力と確固たる信念で、『暮らしの手帖』を作った稀代の天才編集長「花森安治」さんをモデルとした「花山伊佐次」を同じく型に嵌らない稀代の俳優、唐沢寿明さんがどんな風に演じてくれるのか、とっても楽しみです。
参考一覧
【暮らしの手帖社】公式サイト
【東洋経済ONLINE 2010年大橋鎮子氏インタビュー記事】
【文藝春秋web:鼎談書評】
「暮しの手帖」を生んだ伝説的編集者の秘めた思い『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』(津野海太郎 著)
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