先日、『徹子の部屋』に17年振りに出演された、川野太郎さん。
ご家族の事や、今まで公表していなかった奥様の病気のお話が語られました。
奥様の看病や、子育てで、メディアへの露出が減っていた中で、「離婚している」とか「実は、ゲイだった!」とか、酷い噂が飛び交っていた様ですが、実情は、大変な家族の危機と闘っていらっしゃったのですね。
放送時間が平日のお昼なので、ご覧に慣れない方もいらっしゃったかと思います。
今日は、『徹子の部屋』で語られた川野太郎さんのお話を、少しご紹介させて頂きます。
奥様との馴初めは逆ナン?
若かりし日の川野太郎さんが、繁華街でいわゆる「キャッチ」のお姉さんにからまれて困っていたところを、偶然通りかかった 奥様とお友達に助けてもらったのがきっかけとか。
その後、俳優への道を真剣に歩み出した時に2つの事をいっぺんにはできない性格の川野太郎さんが「申し訳ないから別れよう」と別れ話を持ちかけた時にも、「そんなに急いで答をださなくてもいい」と助け船を出して下さったそうです。「逆ナン」なんて失礼でした!ごめんなさい。奥様はHEROだったのですね!
そうして交際から9年でのご結婚。「でき婚」やら「スピード婚」なんて言葉も普通になってしまった今日この頃、9年の交際期間って凄いですよね。
結婚式は奥様のお母様が住んでいたドイツで挙げられたそうです。
そんな、ご夫婦に「ガン」という試練が訪れてしまいました。
診断はステージ4。家族の太陽だった奥様が、この宣告を受けて入院されたときには、目の前が真っ暗になったそうです。まだお子様も小さかった時ですし、この時のお気持ちは想像を絶する絶望だったと思います。この当時に俳優のお仕事をするのは正直「きつかった」そうです。
けれど奥様は、手術は行わず放射線治療と抗ガン剤で無事に退院。「奇跡」だとおしゃっていました。
ご家族に太陽が戻ってきたのですね!
最後に奥様から、川野太郎さんへのお手紙を黒柳徹子さんが読まれました。
妻からの手紙
交際を始めてから9年で結婚。さまざまな試練があったけれども、「ぶつかると壊れる事が怖い」とさけてきたけれど、「ぶつかっても壊れない」事を、川野太郎さんと出会って知る事ができたと綴られていました。
これからも一緒に、訪れる事全てを共に背負って共に乗り越えて生きていきたい。
奥様からのお手紙に、涙で言葉をつまらせた川野太郎さんでしたが、ご病気を克服された事とあわせて
改めて凄い人だなぁ
と・・・・・・。
「朝起きて生きている」事の大切さ
家族が大きい病気になったりして、初めて気が付く「当たり前」だと思っていた事が、実はとても幸せな奇跡なんだと言う事。
今回の川野太郎さんと奥様のお話で、その事が強く心に残りました。
現在、川野太郎さんが参加している『山口県ふるさと大使』や『エコチルサポーター』は、そうしたご苦労を乗り越えてきたからこそ辿り着いた「人間、川野太郎」のアクトなのかもしれません。
まだまだ甘ちゃんな自分ではありますが、こんなご夫婦になれたらいいなぁと、そんな事を思ったりします。
たまには、旦那の好物でもつくってやるかな!
エコチルサポーターなどについてはこちらでご紹介しています。
『川野太郎の今現在の活動は?家族の情報や噂のブログも調べた!』